精神症状から身体疾患を見抜く**金芳堂/尾久 守侑/9784765318211**

販売価格
3,960円(税込み)
編著
尾久 守侑
出版社
金芳堂
分野
 
内科系 一般

数量

電子版発売中です。(外部サイトへ移動します)

医書JP 電子版ページへ
医書JPご利用初めての方は、こちら >>>
書籍版 販売期間
2020/03/10~
JANコード
9784765318211
商品コード
9784765318211
発行 2020年3月
サイズ A5 / 181p
ISBN 978-4-7653-1821-1
内容紹介:精神症状に遭遇したとき、頭部画像と甲状腺機能を含む血液検査だけで身体疾患を除外したつもりになっていませんか? 押さえるべき緊急性を踏まえ、精神症状をどう切り取り、鑑別をするのか。精神科と内科、両科をこなす新進気鋭の医師が語る診断ストラテジー。”奇妙な”意識障害を扱った「カタトニア」、認知能力障害にたいするファーストタッチ「Treatable Dementia」脳波の臨床利用についての超初級編「臨床脳波の使い方」を立ち読みで公開中!内科外来、あるいは病棟であってもいわゆる外因性の精神症状、器質性精神病といわれるものの鑑別が必要となるケースは多い。そんなとき精神科にコンサルタントを頼むのか、緊急性のある内科診療をする必要があるのかについて判断が迫られます。しかし一般的な検査(脳のCTや血液検査)で身体疾患をスクリーニングをしようとすると、すり抜けてしまう疾患も多いのです。さまざまな感染症、腫瘍、膠原病、薬の副作用が精神症状をもつことは知られているにもかかわらず、意外にも症候から身体疾患を切り分けるための方法論は語られてきませんでした。本書では内科医が精神科に送る前に必要となるこのスクリーニングをより高い精度で行うための考え方を、器質性精神症状群に強く関心をもち、内科外来と精神科を継続して研鑽を続けている著者が、まずはどう考え、どう問診し、どんな検査をプラスしたら見逃しを減らせるのか、内科医が陥りやすいピットフォールを回避し、正しい診断への筋道に至るにはどうしたらいいのかを示します。目次:Chapter1 身体因性精神疾患に共通する症状 急性外因反応型 巣症状 健忘症候群 認知症 性格変化 精神的加重Chapter2 身体因で起こりうる精神症状うつ状態 躁状態 幻覚妄想状態カタトニア身体不定愁訴(神経衰弱状態)Chapter3 精神科に紹介されやすい非精神症状 意識障害 健忘と作話 脱抑制 失語 病態失認 不随意運動てんかん関連の諸症状Chapter4 押さえておきたいトピックス臨床脳波の使い方 一般感染症に合併する精神症状 内分泌疾患を見抜く アルコール関連の精神症状ステロイド誘発性精神障害treatable demetia高齢者の精神症状序文:精神症状は精神疾患や心理的な問題の存在を示唆し、身体症状は身体疾患の存在を示唆します。一方で、精神症状の原因が、実は身体疾患や神経疾患であったということや、身体症状を主訴にやってきた患者さんに身体疾患がなく、実は心理的な問題が身体症状を引き起こしていたということもあります。僕はこういったプレゼンテーションと実態に解離がある病態を、「ねじれの病態」と勝手に命名しています。このような「ねじれの病態」存在そのものを知らない医師はいないと思いますが、いかにしてねじれていることに気がつき、治療を導入するか、といった方法論についてはほとんど知られていません。後者(身体症状→精神疾患)については、古くからMichael Balintをはじめとした諸家が一般内科医に対して行ってきた試みの蓄積があります。しかし、現在においても、内科外来で身体症状があるけれども身体疾患が見つからなかった患者さんは、「心療内科か精神科を受診するように」と言われて有事再診という名の強制終診を食らい、それでも身体疾患が心配で次の内科外来を求めてさまよい歩いているという現状はあまり変わっていないように思います。この事実は重要なのですが、本書ではなくまたどこか別の場所で論じたいと思います。さて、前者(精神症状→身体疾患・神経疾患)についてはどうでしょうか。精神症状を呈す身体疾患や神経疾患は、症状性精神病とか器質性精神病などと呼ばれ、その存在は学生ですら知っていますが、どのように診療するか、という点については知られていません。精神症状を眼前にしたとき、精神科医は「まず器質を除外し、その後内因(統合失調症など、なんらかの生物学的基盤がありそうだが明らかでないもの)、心因(本人のパーソナリティや出来事などに起因して精神症状が出現するもの)について考えなさい」と最初に習うため、「最初に器質を除外」しているはずなのですが、ほとんどの場合、この除外は極めて形式的です。健康診断レベルの血液検査にせいぜい甲状腺機能が追加され、頭部CTを撮るくらいでしょう。理由は単純で、多くの精神科医は「まず典型的な内因性/心因性か判断し、非典型的なときに器質を考慮する」というストラテジーを無意識にとっており、体裁として器質を除外しているにすぎないからです。実は、僕はこの態度におおむね賛成しています。縦断的にも横断的にも薬物の反応性からも、どう考えても統合失調症としか言いようがない患者全例に腰椎穿刺をしたり、専門機関になんたら抗体を提出したりすることは無意味であるどころか有害で、一点の曇りもない統合失調症、一点の曇りもないパニック障害などと判断したら器質の除外は最低限でよいと思っています。しかし、今「一点の曇りもない」と述べたように、一点の曇りがあれば診断を再考すべきで、身体疾患を疑わせる、その「一点の曇り」を見極め、「精神症状から身体疾患を見抜く」方法について本書では扱いたいと思っています。「典型的な内因性/心因性か判断し」の「典型的」という部分が、「過去にはこういう人もいた」という経験則から次第に広くなってしまい、本来は身体疾患を考慮すべき患者に適切な検査がなされていないことがしばしばあると考えています。器質性/症状性精神病(本書では、身体因性精神疾患と呼ぶことにします)は、心の病ではありません。身体/神経疾患の表現形が精神症状というだけで、基本的にはどういう問診や身体診察をして、どのような検査を出して、どういう鑑別診断を考えて、といった内科的なアプローチをもとに診断すべきです。別の病気を例にとれば「本人は風邪と言っているけれど、鼻汁や咽頭痛がなく咳だけが続いているから『肺炎かもしれない』と思いレントゲンを撮る」というストーリーがあったとき、「鼻汁や咽頭痛がない咳」というプレゼンテーションは、風邪というprimary suspectについた一点の曇りで、その曇りをきっかけに、家に帰すのではなくレントゲンを撮るというように次の行動が変化するわけです。腹痛や胸痛、咳、といったコモンなプレゼンテーションにつく一点の曇りの見極め方については、多少なりとも真面目に働いたことのある医者であれば(ここには初期研修をしたことがあればという条件がつくかもしれませんが)、誰でも知っていますし、緊急性やまれな疾患まで抑えた適切なストラテジーがどの本を読んでも書いてあります。そういう意味で、「精神症状」というプレゼンテーションは、内科疾患である可能性があるのに、その見極め方が内科医はおろか、精神科医にも知られていません。内科医は、精神症状を呈している患者を目にしたとき、ウチの科ではないという心理機制が働きやすいのか、とにかく直ちに精神科に送る、というストラテジーをとりがちです。一方で、精神科医は内科の先生が診て何もないのだからまさか身体疾患ではないだろうと思い、向精神薬を投与してひとまず様子をみる、というストラテジーをとりがちです。精神症状を呈してやってくる身体/神経疾患は、内科医と精神科医の間に落ちるポテンヒットのような存在です。どちらかが「俺が取るよ」と手を挙げてボールをキャッチしに行く姿勢がない限り、このフライはレフトとショートの間に永遠に落ち続けます。本書では、主な読み手として内科医の先生を想定しています。しかし、精神科医でも他の診療科の医師でも、もっと言えばコメディカルでも、このフライに敏感になりたい気持ちがある人であれば、誰でも読めるような本にしたいという気持ちで書きました。本書の構成は4部構成になっています。chapter1では、精神症状を呈してやってくる身体/神経疾患に共通して出現しうる精神症状について扱います。chapter2では、うつ状態や躁状態、幻覚妄想状態、カタトニア、身体不定愁訴などの精神症状を診たときに、どのように身体疾患を疑うか、という点について考えたいと思います。chapter3では、一見精神症状のように見えてしまう神経症状について扱い、その切り取り方を中心に述べたいと思います。chapter4はトピックスとして、臨床的に重要と思われる場面やテーマについて扱っています。本書では、監修を2人の先生にしていただきました。内科監修をしてくださった國松淳和先生は、僕が医者になった瞬間からの指導医で、今も南多摩病院の内科外来で密度の濃いご指導を受けています。既成の概念を常に破壊して新たな視点で診療をされており、週に1回お互いの診たさまざまな症例についてディスカッションすることで、思考や発想を共有し、それが日々の診療へのモチベーションになっています。かつて国立国際医療センター研究病院の総合診療科で一緒に働いた先輩方と月に1度行っている勉強会も励みになっています。精神科監修をしてくださったのは、僕が所属する慶應義塾大学精神・神経科学教室の内田裕之先生です。内田先生は客観的かつ鋭い視点、さらに圧倒的な指導力と生産性で莫大な数の質の高い論文を執筆されており、ライフスタイルから学習の姿勢まで多くのことを学ばせていただいています。内田先生には「尾久の指導は放し飼いがよい」と常に仰っていただいており、放し飼いの結果にお叱りを受けないかいつも心配しているのですが、このように好き勝手に書いた本書を監修していただき、とても感謝しています。僕はマニュアル本みたいな医学書を読むことが昔から苦手で、わからないときに参照してその場をしのぐ本というのは、そもそも開く機会がないために自分にとってはあまり価値のない本だと思っています。そのためかどうかはわかりませんが、本書も辞書的に使えるような網羅性は欠いており、一冊を読み通したときに何らかの視点が残ることのみを目的としました。言うまでもなく相対的な臨床経験の乏しさがテクストに与えている影響は大きいことが予想され、臨床の大家が書いた医学書と比べると表層的な感は否めないかもしれません。しかし、この視点からこの方向性で書いた本が現状存在していないことは確かで、そこに向かってがむしゃらに、若気の至りで、一点突破で書いたこの医学書から、読み手である臨床家の皆さんが何かをすくい取ることができたのであれば、それは書いた意味があったというものです。